嫌なことを考える暇があるということは、忙しくないということかもしれない。
余計なことを考える余裕があるからだ。
ホントはその人の問題だから余計というのは失礼だけれど、恨みの言葉って自分にも帰ってくるから発散しているようで出来ていないんだよね。
むしろ自分の心も傷つくから、心が休まらない。
かといって「そんな考え方をやめろ」と言われると、人間心理的にやってしまう生き物だから、余計に考え込んでしまうだろう。
そこで私は、「考えていることを受け入れる」ことにした。
要は客観的に自分を見つめ直すやつですね。
拒絶すると疲れるけれど、今その状態を受け入れるならば拒絶よりはラクだと思う。
私も早速やってみよー(いややってなかったんかい!)。